あいもブログ

平凡だけれど楽しい毎日。

隣のおうちのお子さんに挨拶してもらえただけでうれしいという話

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先日、お天気のいい午後に、庭で草むしりをしていました。

すると、帰ってきたお隣の男の子が、こんにちは、今日は暑いね、と言って話しかけてくれました。

たぶんまだ小学校にあがりたてくらいなんだと思います。

おっきなランドセルに、ブルーのマスクで決まってました。

私は、とてもうれしく感じました。こんにちはー暑いねーと言って、返すと、お兄ちゃんのこととか話してくれました。

そのすぐ後に、お兄ちゃんも帰ってきて、やっぱり、こんにちはって言ってくれました。

変な帽子かぶって草をむしりまくっている私に。

なんでそんなにうれしいのかっていう事だけれど、そりゃもう、なんだろう、日常で気持ちよく挨拶かわせただけで、うれしいけれど、例えば私の場合、今住んでいる場所に縁もゆかりもないので、ご近所にお友達も知り合いもいません。子どももいないので、なかなか地域と繋がる感じも、広がる感じも希薄で、なんとなく、居心地がわるいのです。居心地が悪いというのは少し違うがもしれない、なんとなく居づらいのです。

先日ふと見つけた、おこなしさまという言葉。

どんな人でも、うれしいことも、楽しいこともあれば、辛いことも、目を逸らしたいことも、あると思うので、全てに賛成されるような物事を目指そうとし過ぎても、つまらないと思うし、そのくらいは自分で向かって行ったり目を逸らしたりすればいいのだと思うのだけれど、この記事を読んで、そう、なんとなく感じる肩身の狭さ、それそれ、と、思った事がありました。

女性活躍=ママの活躍なの? 子どもがいない肩身の狭さ:日経xwoman

いいとか、悪いとかとは別で、なんだか、肩身が狭いのです。

なので、お隣さんに、こんにちはって言われるだけでうれしかったりしました、っていう話。大げさだと思うけど、存在していいんですね、みたいに思えた。笑



写真は、甥っ子に送った靴下。笑

かわいいよね。

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昨日、フォローさせていただいている方がTwitterで、つぶやいていらして、完全同意。

近所に、友達居てくれたらほんといいな。

今から来れば?とか言えたりさ。

近所でなくてもいいから、ホントふとしたことを、ふわっと言っていい相手、みたいな存在が居てくれるだけでも、救われるような気はする。

そういう場が、例えばTwitterとか、Facebookとかにあるだけでも、少し、生きる励みには、できそうなくらいには、孤独なんだなきっと。